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小学生の頃。
実家のほうでは草イチゴがよくなっていて(東北ではまったく見かけない)、
細長い雑草に何本も刺して、持って歩くものだった。
ラズベリーを20cmくらいの糸に通したのをいっぱい持ってると思ってもらえれば、
そんなにはずれてない。
真っ赤な草イチゴが並んでいるところは綺麗だったし、
それを食べながら歩くのは楽しかった。
友人がそれを、大ファンだったとあるアーティストに
「贈れるといいのに」と言ったことを覚えている。
今思うと、自分が目にした最善のものを贈りたいと思う気持ちは、
すっごく羨ましいものなんじゃないのだろうか。
もはや自分にできる最善のものを素直に贈りたいと思えない。
お金の問題も大きいし、「こんなものを贈ると恥ずかしい」って見栄もあるし。
私が目にできる最善のものはなんだろう。
と、小学生だったあの日と同じ、春の日に考えてみたりして。
美しいものはあちこちにあるのだけれど。
・・・せめて、見たものを綺麗な言葉にできるように、言葉を磨こう。
きっと明日の朝には恥ずかしくて消してしまうオトメの日記。