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もちょっと。

葬儀も無事終わりました。
少し落ち着きました。

お骨になって帰ってきてからのほうがちょっと楽です。
遺体のハチ子は、一見ハチ子なのにハチ子じゃなくて、
見ると痛みを覚えるような姿でした。
眠っているようなのに、眠っているのとは全然違う。
これはハチ子ではない、別の何かつらい何か。

お骨になったハチ子は姿が見えないだけで、
きっといるのでしょう。
姿が見えないほうが、そう思える。
現実逃避なんだけど、逃避できる隙間がある。

いろいろ感じましたよ。
世間が何も変わらないことが理不尽に思えたり、
でもそれに感謝したり。
斎場があまりにも「繁盛してないペット斎場」で、
ツッコミところ満載なのに呆れたり、
でも妙に厳粛すぎるのよりはましかもって思ったり。
火葬ってシステムに感謝したり、
日本式仏教って便利だなって思ったり。

息子は私が泣くと怒って、
ハチ子のことばかりじゃなくもっと自分を見てくれと要求します。
そうだろうなぁって思いつつ、
でも悲しむ時間がないと困るので、鋭意話し合い中。

感じることも話すこともこうやって書くことも逃避行動で、
でも逃避できて助かって。
世間の皆様はどうやって耐えてるのでしょうか。
ずっとずっと耐えるのかな、
それは辛すぎるな。

明日からは怒涛の「仕事&子ども会」週間で、
日常はこっちに関係なく襲ってきます。
つくづく、人生って絶え間ないバトルフィールド。

画像は新しいハチ子の場所です。
ハチ子のおもちゃ等を入れるのに使っていたカラーボックスで、
隣にハチ子のトイレが置いてありました。
ハチ子はトイレ後、なぜかこのカラーボックスをカリカリしてた。
棚の上に写真を飾って、上段にお骨を置きました。

お骨壺が入ってる袋は、セット内容に含まれる白い袋。
これから家族で布を選んで、新しい袋を作るつもりです。
四十九日過ぎたら入れ替えるんだ。
何か、刺繍とかアップリケとかもつけてあげるんだ。
ハチ子に関することで、できることがまだあってよかった。

さて。
次からは、通常ブログに戻る予定。
たまにまた吐き出すかもだけど。
ではではー。

120609_182302.jpg





拍手[9回]

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ハチ子。

2012年6月8日午前6時過ぎ、
私の家族である愛猫ハチ子が永眠しました。
享年3歳10か月でした。
今、これを書くためにPCに向かっていますが、
いつもならPCに向かう私の膝の上には必ずハチ子がいました。
なぜ今いないのか、不思議な気がします。

ハチ子が我が家に来たのは2008年の8月。
このブログを遡れば、詳しく書いているでしょう。
今では日付をはっきり思い出すこともできません。
私たち一家がキャンプに行っている間に、
ハチ子はおそらく母に捨てられたのです。
私たちはキャンプからの帰途に、
「真理子さんちで子猫がずっと泣いてて、親が来ていない様子だ」と、
ご近所さんからの電話を受け取ったのでした。

息子は強い食物アレルギーを持っているから、
動物は飼わないほうがいいのは当然。
ハチ子をどうするかには相当悩みました。
そのまま保健所に電話しようかとも思いました。
今思えば、よくもそんなことを考えたものだと思います。
そうしなかったのは、ハチ子のためではなく、
「生き物を殺す親であると息子に思われたくない」というだけ。

私たちが帰宅したとき、
ハチ子は庭の縁台の下に隠れてみゅうみゅうないていました。
炎熱や天敵から身を守っていたのでしょう。
ご近所さんによると、空の植木鉢の中に隠れていたときもあったとか。

我が家に来たばかりのときのハチ子は、
まだ目が明いたばかりで鼻には擦り傷がありました。
耳ダニがいてノミがいて寄生虫がいて若干結膜炎でした。
そういえば少しだけ腕が曲がっていました。
あれ、いつの間に治ってたのかな。
おそらく生後2週間程度。

それから私は2度目の授乳期に入ったんでしたっけ。
2時間おきにミルクあげてお尻ぽんぽんして。
獣医さんに連れて行って各種の治療して、
検査して、予防注射して。
・・・で、気が付けば、我が家には娘が増えていたわけです。

ハチ子は活発で大人しくて優しくて上品な美人でした。
子猫のうちは特に、見事な運動能力を見せてくれました。

大人になってからはあまりジャンプしなくなったけど、
あれはひょっとしたら、その当時から心臓が弱かったからなのかも。
のんきな母親はまったく気づきませんでした。
生みの親も育ての親も、ひどい親でした。

生みの親に捨てられたせいか、
ハチ子は生涯指しゃぶりをやめませんでした。
私がPC間に座ったときが彼女の正式な就寝タイムで、
必ず膝の上で私の左胸に頭をくっつけるようにして、
指・・正確には肉球・・をしゃぶって眠りました。
それは本当に赤ちゃんに授乳するポーズそのままでした。
私がPCに夢中になっていると、
「お母ちゃん、わたしをちゃんと見てて」って表情で、
指しゃぶりをやめてじっと私を見上げるのです。
そのたびに「ごめんごめん」ってすりすりすると、
また安心した表情で肉球をしゃぶるのでした。

大人になったら少しは減ったけど、
結構な後追い猫でもありました。
トイレにも、お風呂にもついてきました。
洗面所にも、台所にも、洗濯でも。

私の車の音を聞きつけると、
必ず玄関でお出迎えしていました。
夫も息子も聞こえてなくても、必ずハチ子は聞きつけました。
私が帰宅してまっさきに挨拶するのは、ハチ子でした。
もちろん、外出するときも大変な騒ぎでしたが。

避妊手術のときに初めて知りましたが、
実は気の強い子でした。
先生にずっと威嚇しっぱなしで、
結局、ほとんど入院せずに帰宅しました。

そうそう。
家の中に入ってきた人には大人しいのですが、
外で会う人には威嚇しました。
家の中でも男の子は苦手でした。
息子の友達の、ちょっと身体の大きな子は特に苦手で、
間違って彼がハチ子の尻尾を踏んだあとは、
ずっと後まで威嚇して家から追い出そうとしたそうです。
家族が間違って踏んでしまったときは、
絶対怒ったりはしない優しい優しい子なんですが。

家族にはほんとに優しい娘でした。
遊びの最中でも爪は絶対出さないし、
間違って噛んでしまったときは、
すぐにぺろぺろ舐めて「ごめんね」って表情をするのでした。

一昨日、入院したとき、
本当に本当に苦しかったハチ子は、
生まれてはじめて本気で私を噛みました。
でも、そんなときでもすぐに、ぺろぺろ舐めて「ごめん」って顔をしました。
失禁するほど苦しいくせに。

台所で食事を作っていると、
足元であおむけになって「かまって」って訴えるので、
危なくて仕方ありませんでした。
「包丁持ってるときはやめてー!」って何度叫んだか。

家族の中では私が圧倒的に一位で、次に夫。
息子はどうやら自分より格下だと思ってた風情があります。
でも息子が私に叱られて泣いていると励ましにいったし、
息子が昼寝してる布団で一緒によく昼寝していました。

息子は結局、一度もハチ子でぜんそくなどを起こしませんでした。
猫に対するアレルギー反応の数値は結構高くなっていったのに。
あれはきっと、ハチ子だから起きなかったのだと、
やっぱりハチ子は我が家にとって特別な存在なのだと思います。

散歩が好きで、自分からリードを取ってきたこともありました。
でも散歩にいくと、気に入った場所から動かないので、
結局抱いて帰ることもありました。
服についてるタグが好きで、よく一人遊びをしました。
冷蔵庫の下に入れてしまえばゲームオーバー。
大掃除のときは、ハチ子のおもちゃが何個出てきたことか。
・・・・今年もまだ、出てくるのだろうな。

ものすごく無口な子でした。
それだけに、ハチ子が「ごはん♪」って声を出すと、
すっごくラッキーな気分になりました。
もっぱら「散歩!」と「ご飯!」の切羽詰まったときだけでしたけど。

ほんとうにほんとうに優しい、美人な、賢いお姫様でした。
なぜ、自分の数倍も大きい異種族の私たちに、
あんなに心を開いてくれたのか。
なぜ、あんなにやさしくしてくれたのか。
ハチ子の無条件に信頼してくれる目を見るたびに、
何か、不思議なものを感じました。

震災のときには、真っ暗な部屋で待っていました。
どんなに怖かったことか。
あれ以来雷もものすごく怖がるようになって、
先日の雷のときには大騒ぎだったと息子が言っていました。
ひょっとしたら、そういうストレスで発病したのかも。

猫は最近では20年以上生きるものも多いし、
息子が成長してこの家を出て行っても、
ハチ子は残るんだろうなって思っていたのに。
早く猫又になって言葉をしゃべってねって、
毎日願っていたのに。

病気に気づけなかったこと、
病院で逝かせてしまったこと、
一番苦しいときにそばにいられなかったこと、
と同時に、苦しむ姿を見なくて済んだことへ安堵してしまうこと、
ほかにもいろんないろんないろんなことが、
申し訳なくてたまらない。

今まで責任もって飼えなかった猫や、
子どもすぎて守れなかった猫、
そういう猫の分まで、ハチ子を幸せにすると決めたのに。
右手に息子、左手に娘ハチ子、
この両手の子どもは絶対に守ると決めたのに。
事故で死んだ猫や、福島の猫、
そういう悲惨な話を聞くたびに、
せめてこの子だけはっていつも思ったのに。

「来てくれてありがとう」なんて陳腐な言葉で語りたくない。
私の娘。
この喪失感をどうしたらいいのかわからない。
私の娘。

あと8時間でハチ子の葬儀です。
ハチ子はお骨になって我が家に戻ります。
それから、どうなるんだろう。

放置しまくった上に私事で申し訳ありません。
特にコメント・拍手くださった方、ありがとうございました。
しばらく、また放置するかもしれませんが、
どうか、どうかお見捨てなく。

ありがとうございました。

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